「北海道・東北ブロック生涯学習インストラクターの会」に参加して

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地則子会員

5月25日(土) ~26日(日) に札幌市で 開催された、平成25年度北海道・東北ブロック「生涯学習インストラクターの会交流研修会」に函館代表として参加させていただきました。

 札幌生涯学習インストラクターの会会長 高橋三郎様の開会あいさつから、少しの緊張感と穏やかな雰囲気の中で始まりました。

 講演会は、講師は元札幌国際大学学長で現在ふるさと再生塾塾長・日本生涯教育学会顧問をされている 小山 忠弘氏で、教育基本法第3条 「生涯学習の理念」

国民一人一人が自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたってあらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。”

の詳しい解説があり大変参考になりました。また、東北・北海道における人口の減少問題と、まち育て・ひと育ての課題などについてもお話がありました。

 引き続き、参加10団体による情報交換会がありました。各団体生涯学習の理念を守り、頑張っている、情熱のある方々と一緒でよかったと思いました。

130630_hiroba02 来賓で御出席の㈶社会教育通信協会会長 井出 久氏から、函館のブログの説明があり、他の団体の方々も興味を持って下さり、函館のPRにもなりました。

 

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この後18:30から親睦会で、研修の場になり、親睦も一層深まりました。2次会はカラオケでそこも研修の場になりました。

 

 

 

アイヌ文化研修会に参加して(第2回)

yun_6671種田義信会員
※以下は情報誌第2号に掲載分の続きです。

北海道の地名及び北海道人については、古来からエミシと呼ばれ、蝦夷・夷狄・蝦狄・狄賊と表記されている。

 古代の律令国家は、東北・北海道に居住する人たちを蝦夷(エミシ)と総称していた。

 特に、北海道人については「日本書紀(にほんしょき)」(710年撰)に渡嶋夷狄(わたりしまのえみし)と表記されるようになり、飛鳥時代から平安時代(7~14世紀)には、総称として蝦夷(えみし)として表記された。

 鎌倉時代(13世紀以降)に入ると、蝦夷(えぞ)という呼称が使われるようになり、鎌倉幕府は武家政権の法政書「沙汰未練書」の中で「東夷成敗事」を定め、蝦夷地支配の流刑地としての統括を行った。

 当時の蝦夷地管領は北条氏であったが、現地代官としての津軽の安藤氏が「蝦夷地の沙汰」を行った。

 和人と呼ばれる人たちの渡道や居住者が顕著になったのは鎌倉時代後期(14世紀)の頃からと見られる。(続く)
(情報誌・第4号にも第3回分を掲載します)