アイヌ文化研究会に参加して

130531_hiroba01種田義信会員

  函館の歴史には「志海苔館」や「箱館」の滅亡があり、そこには不遇のアイヌ民族の歴史が関わっていた。アイヌ民族については、古代の記録である「日本書 記」にも登場する。さらに、徳川政権下の寛文9年(1669年)に発生した「蝦夷の乱」は、「島原の乱」以来の大事件として幕府を驚かせ、世間の耳目を集 めた。

「蝦夷の乱」については当事者である松前藩編集の「新羅之記録」などに収録していることから、その経過等について別紙のとおり再確認し、以下感じたことを述べてみたい。

「新 羅之記録(しんらのきろく)」は「松前国記録」あるいは「新羅記」とも称され、初期の松前家の事績を記録した現存の最古の記録です。松前藩祖である松前慶 広(よしひろ)の七男景廣(かげひろ)が、寛永20年(1643年)幕府の命により編纂された松前家系図の不備を補って、作成したものです。

景広弘が正保3年(1646年)に崇拝していた近江の国圓城寺(三井寺)境内の新羅大明神に詣でて、松前家の遠祖新羅三郎源義光の事績等を聞いたときに、子孫のためにこれを浄書し、家に伝えたものだという。

本 書の内容は、新羅大明神縁起から説明し松前家代々の歴史に及ぶもので、和人が北海道を支配するに至る初期の状態を、和様漢文で物語的・年代的に記述してい る。松前家遠祖記述には多くの粉飾を認めざるを得ないが、和人による北海道支配の成立過程をこれほど詳細に記録したものはなく、本書はまさに記録と称すべ き文献です。

本書の原書と考えられるものは①奥尻松前家本、②横浜松前家本、③函館図書館本の三部がある。本書には松前家の始祖といわれる武田信広(のぶひろ)から八世の松前氏広(うじひろ、第三代藩主)に到る蠣崎氏(かきざきし、松前氏)代々の史跡を物語風に記述している。

内容的には粉飾とみられる箇所があるものの、中世における津軽安藤氏、檜山湊安藤氏と蝦夷嶋(えぞがしま)の和人豪族との関係や、現地蝦夷の動向を比較的詳細に記録したものは、本書以外に所在しないとの評価もある。

松前景広は藩祖慶広の六男であり、後に出家して快安と号した。正保4年(1647年)に新羅の記録関係の深い「新羅大明神縁起物」も著している。さらに本書の内容には・・エミシからエゾ、そしてアイヌ文化への経過・・が記録されている。

(つづく、長文のため以下別号に掲載いたします。)