校歌がなかった中学生時代

私は、函館市立光成中学校3回生(昭和27年卒)です。

 昭和26年当時の母校

正面に臥牛山(函館山)を望み後方は、詩人石川啄木の詩集「一握の砂」の砂山で、左側は、宇賀の浦(大森浜)の鮮やかな海岸ラインが流れる詩情溢れる所に校舎があり砂山が運動場であり格好の遊び場でもあり多感な中学生のステキな居場所でした。一握の砂「砂山の砂に腹這い、初恋の痛み 遠くおもいいずる日」の詩を聞くと今でも中学時代の懐かしき情景が思い出されます。

私の在学中は、校歌がなかった。

入学・卒業・学校行事の時どんな形であったのか記憶がないが、昭和28年9月に創立5周年に校歌が制定され校歌が誕生。私が校歌を聞いたのは平成10年の創立50周年記念の時でした、その後2・3回の同窓会で聞く程度でした。

この校歌の、作詞 及川金平(あだ名は色眼鏡着用でギャング)先生は、私達の国語担任で3年間教育を受けた先生、作曲の酒井武雄先生は、当時函館中部高等学校の音楽の先生で地域の音楽教育のリーダーとして活躍中の先生でした。この両先生が、戦後の復興を目指している函館、そして光成中学の生い立ちを知ることで生まれた素晴らしい貴重な校歌で、1番~3番の第1~3の小節の詩に光成の存在を表す誇れる校歌です

在学中に歌えなかった校歌が、24年の同窓会で、現校長の信夫恵美子先生が着任早々なのに、力強く声量豊かな声で堂々と校歌を斉唱されました。私は在学中歌えなかった校歌がとても身近な校歌に思え、信夫校長にお願いしCDをいただき稽古し次回の同窓会で力いっぱい斉唱しようとおもう。

少子化等に伴い近い将来学校再編成で、我が母校光成中学校の校名が消滅するだろう。 校歌を斉唱を続けよう

H・KOBAYASHI